ひよこがね

自分を好きになるためにできることを書いていきます

私は正しい

私は正しいんだ

とふと思った

 

でも、人と比較して正しいわけではなく

ただ、私という存在が間違っていることはない

という意味が近い

そして同時に

私の思考は間違うとも思う

 

インターネットで

”私は正しい”

と検索すると

自分の考えを正しいと主張することで生まれる弊害

について言及されている記事が多い

 

その通りだと思う

 

私の思考は間違えることがあるけど

思いや感覚を持つ私という存在は

私にとっては正しい

 

だから

理屈ではなくて

自分の気持ちや希望を

ストレートに表現するようにしたい

親子問題は親だけが悪いのか

親の謎時が終わってからも

インターネットで情報収集を続けていると

 

アダルトチルドレン毒親問題は

子供本人の資質も関係している

 

という記事を目にすることが増えた

 

親と依存関係を作りやすい子供がいるということだった

 

私が思ったのは

 

確かに子供本人の資質や能力も関係してくるけれども

子供の時の出来事は

親と子という立場の違いがある以上

親が責任を持つ必要がある

 

ということだ

 

しかし、子どもが成人すると親との力関係は変わるから

子どもが成人して、親からネガティブな影響を

受けていたと気づいたのならば

その関係に留まるか、そこから出るかを自分の意思で決め

生きづらさの原因を親に求めることを止めることが

”大人になる”ということなのかもしれない

心のスケッチブックと日記

子どもの頃から日記を書くことが苦手だった

「何があったか、どう思ったか書きなさい」

と言われても

定型的な事しか書けなかった

 

今思えば

学校の宿題で書いた日記が最初だったから

人に見られること前提で書くことが当たりまえ

 

そもそも

日記は何のために書くのか

 

に気づけないまま大人になった

 

人によっては

「日記を書くって暗い」

と言う

 

私は日記を書くことに強いあこがれがあって

でも、書く理由も書く内容もなくて悶々としていた

 

ここ数年

あーでもないこーでもないと考えながら

日記を書いてる

 

最初は

後で思い出せるように

世の中の主な出来事と、自分のイベントごとだけ書いていた

 

次第に

自分のその日に考えたことや、気づいたことを書くようになって

今は、自分の生活に必要な事柄をまとめるようになってきた

 

私がずっと日記を書きたかった理由が

「心のスケッチブックを作りたから」

に向かい始めている

 

今は、書くことで

自分が意識できていないけど、実際には感じていることや考えていることを

意識することで、自分の生活がよくなっていくと分かり始めている

インナーペアレント(内面化された親)を作り直すpart1

私のインナーペアレント

長年、私の言動を制限し続けていた

 

仕事をやめ

自分を取り戻すと決め

自分のペースで生活をするなかで

母と父の言葉に

私が強い怒りや悲しみをを感じ

感じているにもかかわらず

この感情を抑えて生きていた

ということに

気づくことができるようになった

 

内面化された親を作るときの土台=自己イメージ

 

内面化された親がきでるまでには

親のどの言動を自分に内面化するかを選ぶ基準として

子どもが自分に抱いた自己イメージが土台になる

のではないだろうか

 

子どもの自分が抱いた自己イメージを支える役割として

一番身近な人間の言動が内面化されていく

 

この自己イメージは、

環境の影響と

判断力が未熟な子供の思考

を元に出来上がる

 

子供には

当然の感覚として捉えられ

特に、恐怖などの感情と結びついているときは

自己イメージが錯覚だ

という気づきを得ることは

なかなか難しい

 

 

親の言動が内面化される

 

親の言動が内面化されるときは

自己イメージに呼応した親の言動が選ばれていく

 

恐らく、

幼少期に親密に接する大人が多ければ多いほど

この内面化される親のサンプルが多いことになり

子どもにとって好ましい親が出来上がるだろう

 

家庭が孤立化している環境内で

子どもが親の無意識から発せられる要求にこたえようとする場合

子どもの自己イメージに合わない親の言動を

合理化して受け入れる必要がある

 

子どもが寂しさを感じるときや、恐怖を感じるときには

家族内の大人(親)という限られたサンプルの中から

子どもの自己イメージに合わない言動を

選ばざる負えないことがある

 

無理やり選んだ言動と、自己イメージのズレ

から生じるストレスを解消するために

いわゆる認知の歪みを使って

子どもの中に自分を愛する親として合理化されていくのだろう

 

このとき、

本来持っている自己イメージも

親の持つ子供のイメージに

合わせられていく

 

内面化された親が子どもの行動を制御していく

 

子供が、自分の人生を歩めていないと感じるときは

この、自己イメージに合わない親の言動を

愛する親として内面化しているズレ

自己イメージを親の持つ子供のイメージに合わせているズレ

から生じる

 

しかし、すべてほぼ無意識に子供の中で行われているため

子ども自身は、違和感を感じても

自分の中で何が起こっているのか分からず

自己不全感に悩まされることになる

 

 

 自己イメージがミスリードされていることがある

 

私が一番最初に抱いた自己イメージは

「私が私のままでは社会で生きていけない」

として私の中に残っている

 

これが前提となり

両親の言動が選び取られ内面化されているので

否定的でパターナリズムな親が内面化されていった

 

しかし、今考えればこの自己イメージは勘違い!

なんです

 

最近思い出したもっと古い自己イメージは

父と、母と私がただいて、ただそれだけで幸せだなぁ

というイメージ

 

しかし、その後、色々とあって、不安と自己イメージが結び付いて

強く私の無意識に残ってしまった

 

勘違いを前提として

対人関係の基盤を作り上げたから

すべておかしかったんだなぁと

自作自演に驚くことになる

 

モラハラ:気持ちを切り替える

モラハラの加害者は

言葉や態度で

モラハラから生じる

被害者のネガティブな気持ちを

切り替えさせる

 

いつまでも目の前で落ち込まれては

加害者が罪悪感を感じざる負えない

また

モラハラをされていることに気づかれても困る

 

被害者は”気持ちを切り替える”ことで

自身の感情が分からなくなり

加害者との関係に依存せざる負えなくなっていく

 

被害者がするべき本当の切り替えは

加害者のために使っている

思考と感情を

完全に自分のために使うようにすること

 

 

過去からの手紙

10年前、私は未来の私宛に手紙を書いた

 

内容は

「この部屋で悩み続けていた私のことを

忘れないでくださ」

という感じのものだった

 

当時は

自分のメンタル状態が良くなることを前提に

書いた記憶があって

願掛けのようなものだったと思う

 

今になって分かるのは

 

当時は、

”悩む私”が私の全てだったけど

今は、

”悩む”私は少しずつやわらぎ

私の一部になりつつある

 

ってことだ

 

今の私から返事を書くならば

「忘れていないし、今も一緒にいるよ」

ということになる

モラハラ:自己愛が育っていない人と、発達障害者の「共感ができない」の違い

共感ができないと一言で言っても

共感には段階がある

 

1.相手の気持ちを感じ取る(先天的、コントロール不可)

2.相手の気持ちと同じような気持ちを自分が感じる(先天的、ある程度コントロール可能)

3.共感したことを言動で示す(後天的、コントロール可能)

 

発達障害のある人は、1ができない、または極端に苦手なため、2と3もできずに、相手を傷つける

 

自己愛が健全に育っていない人は、2の能力が適切に育っていない、または過去の苦痛を理由に(2をすると苦痛の体験を思い出すなど)しないようにしているため、3が適切にできなくなり、相手に違和感を与える

 

発達障害のある人には、1で本来感じ取られるであろう内容すべてを言語化して伝え、3をどうすればいいかも具体的に伝えると、社会に適応できることがある

 

自己愛が健全に育っていない人は、2をすることに苦痛を感じる人が多く、また、相手の2を利用してモラハラをする人も多いので、関係を作るときは、なるべく2を回避してコミュニケーションを取ると、安定した関係が作れる

 

かもしれない