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ひよこがね

自分を好きになるためにできることを書いていきます

100万回生きたねこの考察

子どもの頃に100万回生きたねこを読んだとき

「なぜねこは白いねこを好きになったのか」が疑問だった

当時は「白いねこがきれいだから」だと思っていた

 

白いねこは自律している

改めて本を読むと、ねこが白いねこをすきになった理由は

「白いねこがありのままの白いねことして生きているから」

だと思うようになった

白いねこは

ねこに気に入られようと気を引くこともしないし

我を忘れてねこの自慢に心を奪われることもない

精神的に自律しているように見える

 

「白」に何にも染まらない意味合いがあると想定すると

精神的に自律しているから白いうつくしいねこなのだろう

 

ねこは愛のない環境で生き続けていた

ねこが人間に飼われているときの他者関係は

常に支配し支配される関係で愛はなかった

常にねこよりも上の立場の者に支配されていて

ねこの死すらコントロールされた

 

おばあさんに飼われたネコは寿命を全うできてはいるが

おばあさんが寂しい一人暮らしだったところを見ると

おばあさんは愛を知らなかったのではないだろうか

 まだ、愛と共に生きているとは言えない

 

ありのままを受け入れる白いねこ

白いねこは、ねこと出会った当初から

ねこの自慢を無視するのでもなく過大評価するのでもなく

ただありのまま「そう。」と受け止めている

 

ねこがめすねこになびかなかったように

白いねこがねこになびかない

 

ありのまま、尊重し合う関係に愛が現れる

白いねこもねこと同じく、自分自身をすきだ

でも、ねこと白いねこの「自分自身がすき」は少し質が違う 

 

ねこは自分の価値、評価を使ってコミュニケーションをしていた

いつも他者から一歩ひいて本心を表現することはしていなかった

 

でも、白いねことのコミュニケーションがうまくいかないときに

本心でコミュニケーションするしかないとねこは気づいている

 

立派なとらねこだから自分が好き

100万回しんだから自分が好きという

ねこの自己愛が

ねこ自身の全てをひっくるめて自分がすき

という自愛に変わった瞬間かもしれない

 

冷たいようで真に暖かい白いねこ

ねこの本心には「ええ」と白いねこも本心で応える

私は子供心に白いねこは冷たくそっけない態度に見えていた

でも、生活の中で人間の冷たさと暖かさを体験して

ありのままに生きるねこ同士の本心の会話はこれで満たされているのだろう

と思えるようになった 

 

社会的立場ではなく、ありのままで生きる幸せ

ねこは100万回生きて

のらねこになってはじめて

自分を好きになり、自分自身を生きることができた

白いねこと本心でコミュニケーションすることで

生きることの幸せを体験することができた

 

生きることを十分に満喫した

 

無駄なものはない

100万回しんだ経験は無駄だったのだろうか

100万回しんだ事実はねこにとって価値があったとすれば

本心を他者に隠して生きているときは「栄光」として

本心を白いねこに打ち明けて生きるようになってからは「幸せをはっきりと認識するための基礎」としてだろう

 

やり残したことがあるから生まれ変わる

ねこは生き返る未練がこの世に残らないほど

白いねことののらねこ生活は幸せだったんじゃないかな

 

人が生きながら追い求めるものは、総じて幸せにつながっているけど

何が幸せなのかはなかなかな気づけない

だからそれぞれの環境の中で出会いと別れを繰り返し

自分以外のものになろうとしながら探し続けている