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ひよこがね

自分を好きになるためにできることを書いていきます

不登校の原因

不登校

私は20年前に不登校になった

今感じている根本的な原因は

「家族にありのままの自分を受容されたことがない」

である

 

私は両親にありのままの自分を受容されたという実感がないまま

家族を構成する一人としての役割的な認識しかなかった

苗字にアイデンティティがあり、名前に愛着を持てない状態が続いていた

いわゆる”自分がない”という状態で

家族の一員としては受容されていたが、私固有の存在を尊重してくれるような両親ではなかった

 

親と情緒的触れ合いがないまま生活していた

父は高次脳機能障害があり、恐らく徘徊自動症と言われるような発作が出る人だった

協調性も社会性も極端に低く、暴力はないが、人の意見を聞く人ではなく、自分の思うとおりに生きる人だった

私が父に不安や気になることを話しても「ん~そんなもん気にするな」と言って受け止めることはない人だった

 

母は無職の父に代わって働いていた

母は私にとっての生命線であったし、私のことを大切に育ててくれたとは思う

しかし、私が初めて父の発作を見た時に、母に「怖い」と訴えると、「そういうふりをしているのよ」と言われたショックを今も忘れない

母は、私の気持ちを適切にケアできない人だった

私が悲しんでも喜んでも、私の感情に共感したり受容したりすることはなく、軽く扱う人である

 

家族と情緒的触れ合いがないまま外の世界に出ても、他人はさらに訳が分からない人であり、恐怖の対象となった

 

自分らしく生きると、母が怒るという感覚

私は未だに、私が私らしくリラックスして生活していると、母が怒るという感覚が付きまとっている

人がリラックスをしているときは、隙ができ、難癖をつけやすくなる

母は自身のストレスを自分で解消できず、私に絡むことでストレス発散をする人だった

今思えばどうでもいい細かいことに母が怒り、母の感情に反応して自分の感情が振り回されることに子どもの頃は混乱していた

未だに私が母と会話をするときの口調に対して母から「何を怒っているの」と言われることがある

自分自身でも何に腹を立てているのか分からなかったが

私を尊重しない母への積年の怒りが隠せなくなっていることに最近気づいた

この自分らしく生きることで、人が怒る感覚は、外の世界でも顕著で

リラックスしてふるまえないことで、人との壁が厚くなり続けた

 

親にありのままを受け入れてもらえなかったから、自分もありのままの自分をうけいれられなかった

ありのままの自分を受け入れることができないというのは

そもそも、ありのままの自分が居ることに気づき

ありのままの自分を受け入れる経験を親を通じて体験し

ありのままの自分を受けれるプロセスというものがあるのだ

ということを知らなければ

ありのままの自分を受け入れるという概念があることすら気づけない

もっといえば、親は無意識だろうけど

ありのままの私でいないように仕向けてきたのではないかとすら思う

 

あからさまに否定されないからこそ真綿で締められるような苦しさを感じていた