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ひよこがね

自分を好きになるためにできることを書いていきます

無意識を意識化するとは

モラハラ 自分を好きになる

私は自分を信じていない人間だったが

今思えば自分の無意識を信じられなかったのだ

もっと言えば、無意識と意識に乖離があったから

ふとした自分の言動に戸惑い

言動をコントロールするために思考に偏った生き方をしてきた

 

人の言動は圧倒的に無意識を元に行われていて

無意識を意識化することは、自分を知ることである

自分探しをする若者は、旅などを通じて

無意識を意識化する作業を行っているのだろう

 

過去に発達障害のある人向けに仕事の基本的なコミュニケーション術を教えていたことがある

発達障害のある人に、自分が伝えたいことを的確に伝えるために必要なことは

とにかく、定型発達者の無意識を意識化して言語化、視覚化することだった

 

「なぜ職場の人は最初に作業手順を説明せずに、後で自分のやり方を訂正してくるのか」

と抗議してきた人がいた

定型発達者には「仕事ってそんなもんだよ」と言えば納得してくれるようなことも

発達障害のある人は納得できないので

「一般的には手順が1~10まであった場合、1,5,10を説明すれば、間の2,3,4は言われなくても分かる人が多いし、分からない場合は質問をしてくる。仮にやり方が2,4,3と入れ替わっても、ミスにならなければ訂正されないこともある。しかし、あなたは1、2,3,4,5と説明したとしても、1と2の間に”A”という指導者には予想外の手順を入れることがある。しかも、Aを入れることが間違っているかもしれないという判断がなかなかできないから質問をしない。これは明らかにミスにつながるから訂正せざる負えない」

と、定型発達者が無意識に行っている判断を言語化して伝えると、一般的に大人が指摘されたら怒りそうなことでも「分かりました」とあっさり納得する

 

定型発達者しかいない社会で生活していると、無意識を意識することはほとほと難しい

無意識を意識化しなくても”暗黙の了解”という習慣で問題なく生活できるから、自分が無意識で様々な判断をしているなんて思いもしない

 

発達障害のある人のように、あまりにも無意識の判断が違いすぎる人と接して初めて、自分の無意識を意識することができた

無意識を意識化しないと明らかに不都合な現実に置かれないと、人は無意識を意識化することは難しいのかもしれない

 

しかし、当時は「そんなこと自分で考えてほしい」とよく思っていた

無意識を意識化することは慣れるまでは本当に苦痛で面倒くさい

無意識には、意識化するには苦痛すぎる感情や記憶も多く含まれているから、落ち込むことも多い

無意識は意識化されることを全力で拒否っているのではないかとすら思う

 

無意識を意識化し続け、自分の無意識と意識の乖離が小さくなればなるほど、生きることは楽になる

自分の意識していない無意識に自分の言動をコントロールされることが減るからだ

 

自分の無意識を信用していなかった私も、ある程度無意識を意識化できるようになってからは

案外、思考よりも自分の無意識のほうが信用できるのではないかと思えるようになった

 

ちなみに、無意識を意識化し続けた結果、私はこの職場を辞めた

自分がモラハラを受けていることに気づいたからだ